みくに式ダウナー系三国志ブログ。
不公平と思われるものを、公平なものに正したいと思うのは
分別のある人ならば当然のことです。
そういった意味で、「歴史」というものは
もうそりゃ不公平にウソをぶっかけて理不尽で煮詰めたようなもの
でしょうから、真実を求めるのは並大抵のことではないし
だからこそ歴史ロマンなんてものも存在するわけで
「歴史」というものの魅力の多くはそこらにあるのではないかと思います。
一応、建前上真実とされている「歴史」ですらそうである中で
「三国志演義」という「お話」を頭っから疑ってかかりたくなるのは
当然と言えば当然のことでしょう。
「三国志演義」の中、まずワタクシが一番に
「え~、ど~なのよ~?」と考えるのは、
無論のこと、劉備玄徳その人なわけです。
まぁ、もう出尽くした議論ではありましょうが、彼の
「態の良い事を言っておいて、
その実、結局自分の都合で他人を貶め続ける様子」には
やはり「う~ん」とならざるを得ない。
彼は、本当に義の人だったのか。
彼は、本当に人が集まってくるような魅力を持っていたのか。
そもそも、なぜ「三国志演義」は彼を主役にしたのか。
この辺りを考えると、なかなか面白いですよね。
で、これはワタクシの独断と偏見に満ち満ちた私見ではありますが
劉備玄徳という人はおそらく、
なにがしかのカリスマ性を帯びた、田舎のゴロツキの大将で、
その持って生まれたカリスマ性を見事に利用しつつ、
時に狡猾に、時にバカ正直に生きた人で
それによって、実際下に集まる人間もいて
身分は(ムシロ売りとまではいかないまでも)低かったにも関わらず
そこから帝を自称するまでに登り詰めた人であり
意外に陽気で豪放な人だったんではないか、と。
陰気で内向的な人の下に、そう人間は集まらない感じするし。
で、これらを総合すると、何のことはない、
漢王・劉邦とそれほど違わないという事実もまた意味深に思えてきます。
まぁ、全く無根拠な、ただの想像だし
実際はどうなのかなんてこれっぽっちもわからないけど
まず、劉備を疑うことから、
三国志をもう一段掘り下げる作業は始まる気がします。
……あ、気がついたら大真面目に大真面目なことを
大真面目な文で書いてた。
いかんいかん。
分別のある人ならば当然のことです。
そういった意味で、「歴史」というものは
もうそりゃ不公平にウソをぶっかけて理不尽で煮詰めたようなもの
でしょうから、真実を求めるのは並大抵のことではないし
だからこそ歴史ロマンなんてものも存在するわけで
「歴史」というものの魅力の多くはそこらにあるのではないかと思います。
一応、建前上真実とされている「歴史」ですらそうである中で
「三国志演義」という「お話」を頭っから疑ってかかりたくなるのは
当然と言えば当然のことでしょう。
「三国志演義」の中、まずワタクシが一番に
「え~、ど~なのよ~?」と考えるのは、
無論のこと、劉備玄徳その人なわけです。
まぁ、もう出尽くした議論ではありましょうが、彼の
「態の良い事を言っておいて、
その実、結局自分の都合で他人を貶め続ける様子」には
やはり「う~ん」とならざるを得ない。
彼は、本当に義の人だったのか。
彼は、本当に人が集まってくるような魅力を持っていたのか。
そもそも、なぜ「三国志演義」は彼を主役にしたのか。
この辺りを考えると、なかなか面白いですよね。
で、これはワタクシの独断と偏見に満ち満ちた私見ではありますが
劉備玄徳という人はおそらく、
なにがしかのカリスマ性を帯びた、田舎のゴロツキの大将で、
その持って生まれたカリスマ性を見事に利用しつつ、
時に狡猾に、時にバカ正直に生きた人で
それによって、実際下に集まる人間もいて
身分は(ムシロ売りとまではいかないまでも)低かったにも関わらず
そこから帝を自称するまでに登り詰めた人であり
意外に陽気で豪放な人だったんではないか、と。
陰気で内向的な人の下に、そう人間は集まらない感じするし。
で、これらを総合すると、何のことはない、
漢王・劉邦とそれほど違わないという事実もまた意味深に思えてきます。
まぁ、全く無根拠な、ただの想像だし
実際はどうなのかなんてこれっぽっちもわからないけど
まず、劉備を疑うことから、
三国志をもう一段掘り下げる作業は始まる気がします。
……あ、気がついたら大真面目に大真面目なことを
大真面目な文で書いてた。
いかんいかん。
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今夜は雨が降っておりますが
三国時代、行軍時の雨なんかホントにキツかったでしょうねぇ。
ってその前に
敵国まで辿りつくのもやっとでしょ?
中国で、地図上では目と鼻の先にある目的地に行くのに
車で高速をブッ飛ばして6時間とか平気でかかるのを体験したりしてますと
まぁ馬や徒歩で隣国に攻め入るなんてとても想像できないわけです。
自国の都市間の行き来でさえ、気の遠くなるような距離があるわけで
懇意の武将に「ウチに遊びにきなよ」って言われて
「おー、いくいく」と答えたはいいが
遊びにいくのにまず2ヶ月ぐらいかかりそう。
そうすっと向こうはもう呼んだ記憶もあやふやなので
「なんだ!いきなり来てびっくりすんだろ!」とか理不尽にキレられたりして
友情の存続にも一苦労。
ちなみにこの「ウチこいよ」「いくいく」
というやり取りをするだけでも
おそらく数ヶ月を要するので
友達一人とお茶すんのに、
半年もしくは1年がかりで挑まなくてはならない。
しんどいよーこれは。
だから、兵士たちは「北伐」って言葉だけで
相当憂鬱になったに違いない。
「孔明先生が明日また北伐すんぞって言ってたよ」
「ええー!マジか。超ダリィんですけど。ってか、もうやめようやー孔明先生ー!」
こりゃもう士気もへったくれもあったもんじゃないんであって
この辺りに蜀の敗因があるのではないのか、と。
三国時代、行軍時の雨なんかホントにキツかったでしょうねぇ。
ってその前に
敵国まで辿りつくのもやっとでしょ?
中国で、地図上では目と鼻の先にある目的地に行くのに
車で高速をブッ飛ばして6時間とか平気でかかるのを体験したりしてますと
まぁ馬や徒歩で隣国に攻め入るなんてとても想像できないわけです。
自国の都市間の行き来でさえ、気の遠くなるような距離があるわけで
懇意の武将に「ウチに遊びにきなよ」って言われて
「おー、いくいく」と答えたはいいが
遊びにいくのにまず2ヶ月ぐらいかかりそう。
そうすっと向こうはもう呼んだ記憶もあやふやなので
「なんだ!いきなり来てびっくりすんだろ!」とか理不尽にキレられたりして
友情の存続にも一苦労。
ちなみにこの「ウチこいよ」「いくいく」
というやり取りをするだけでも
おそらく数ヶ月を要するので
友達一人とお茶すんのに、
半年もしくは1年がかりで挑まなくてはならない。
しんどいよーこれは。
だから、兵士たちは「北伐」って言葉だけで
相当憂鬱になったに違いない。
「孔明先生が明日また北伐すんぞって言ってたよ」
「ええー!マジか。超ダリィんですけど。ってか、もうやめようやー孔明先生ー!」
こりゃもう士気もへったくれもあったもんじゃないんであって
この辺りに蜀の敗因があるのではないのか、と。
三国志の世界を、やや脱力した視点で見ていこうという趣旨のもと
当ブログを開設いたしましたワタクシ、
三国 志郎(みくに しろう)と申します。そのまんまだ!
どうぞよしなに。
初回の今日は、ワタクシ三国の三国遍歴なんぞをご紹介いたしまして
早速お茶を濁していこうと思います。
小学生の頃、NHK「人形劇読みきり三国志」に出会い脳髄が感電。
その後、順調に吉川英次先生の「三国志」
横山光輝先生の「三国志」などを経まして
すっかり三国志色に染まり
大人になってからは
本場中国に三国遺跡を見にちょくちょく足を運んでおる、と。
そういった感じでございます。
二ヶ月ほど前にも、成都に行ってまいりましたが
昔に比べ、随分街も近代化されておりまして
驚きました。
そして中国に行って毎回感じるのが
「中国人、三国志にあんま興味ねぇ……」ということでして
「好きな三国志の武将は?」という問いに
国民の99%が申し合わせたように「関羽」と答える様に
落涙を禁じえません(別に関羽でもいいんですけどね)。
一人でも「阿会喃!!」とか即答する骨のある輩はいないのか!
「高順こそ最強の武将です」とか
遠い目をしながらのたまうヤツはいないのか!
いてもちょっと困るけどな!
まぁーそういった感じで
日々三国志に関する思うところを
あることないこと書いていきますんで
どうぞよろしく。
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